- 11月のご挨拶
10月の半ば、夕暮れの竹ノ塚を歩く
行きは循環バスに乗ったけど
今別れたばかりの彼女との時間は私に1人を促した出会いは20年以上前、
ほどほどの距離感を保ったまま永く付き合ってきた
来年の作品ができないと断りメールをもらったのはほんの数日前
行かなきゃという思いに駆られ竹ノ塚の自宅を訪ねた
二人、椅子に腰掛け取り留めのない話を少し
それから二日後、彼女は逝った
最近作家さんとの関わりをしみじみ憶う
毎年、隔年、数年おきと個展開催は作家さんそれぞれである
意外と思うほどさらりとした関係性
でも作品という絆でしっかりと繋がっていることを私は知っている
作家さんの作品に触れたとき、あの日あの時がリアルに甦るその人はもういない、
でも間違いなく存在したと作品がこちらに訴えてくるのだ
質のいい、萬器らしいという括りの個性で
あなたでなければできない仕事を思う存分魅せてくれた
秋が深まり、これから枯れ葉が舞う
寒さより寂しさで心が震える晩秋になる
久保田真弓
Story
寄稿
萬器三十周年に添えて
土と火と水、そして手技。器は、自然と人間の接合点で生まれる表象である。その意味や価値を無言のうちに語りかけてくるから、私たちは器という存在に惹かれるのかもしれない。
あえて「器」と書いたのは、このたび三十周年を迎えた「萬器」の名前にちなんでのこと。もちろん、「器」は、工芸から生み出されるすべてのものに置き換えられる。今日まで三十年の長きに亘り、「萬器」が扱ってきた表象のかたちは数限りない。それらひとつひとつが誰かの手に渡り、親しく使われ、愛されながら、この世界のあちこちに点在する様子は何かに似てはいないか。無数に散らばる星々を線で結んだとき、まなうらに浮かび上がる図形。それは私に星座を想起させる。
思えば、「萬器」は、歳月と空間をつうじてものとひとを交差させ、繋ぎ合わせながら拡張する役割を任じている。着々と、黙々と。これもまた創出の表現である。
平松洋子 Yoko Hiramatsu
作家、エッセイスト。東京女子大学文理学部社会学科卒業。2006年『買えない味』でBunkamura ドゥマゴ文学賞、2012年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞、2022年「『父のビスコ』で読売文学賞を受賞。『食べる私』『日本のすごい味』『肉とすっぽん 日本ソウルミート紀行』『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』など著書多数。