- 9月のご挨拶
コロナ禍開催で無観客試合が多かった東京オリンピックから三年、
パリオリンピックが開催され、真夜中のライブに釘付けの日々だった
印象に残った試合に思いを巡らせれば柔道、阿部詩さんの試合だった
順当に勝ち進んでいくと思っていたら、一瞬の隙にストンと一本取られてしまった
監督に縋りつき号泣する詩選手、
片手に赤いサンダルを握ったまま詩選手を抱きしめる監督の姿
それを画面で観てボロボロと涙が止まらなかったその様子に一部批判めいた意見もあったけど
あの試合を最初からちゃんと見続けていたならそれはどうだろう
たった一つしかない答えを求め、
それに邁進し、
全身全霊に挑んでも神さまは時として試練を与える
私たちはあんなにも夢中に目的を持って生きているだろうか?
生きていく中に叶わないことはいっぱいあるがそれをまざまざと見せられ、
泣けたし自分の切なさのように感じた時を置かず会場観客から「ウータ!ウータ!」のコールが沸いた
きっと観ている人の感情にも入り込んだからだ
スポーツは筋書きのないドラマ
だから心が震える
これもオリンピックの意味の一つではないか
パリの街は熱い余韻と共に秋に移る久保田真弓
Story
寄稿
萬器三十周年に添えて
土と火と水、そして手技。器は、自然と人間の接合点で生まれる表象である。その意味や価値を無言のうちに語りかけてくるから、私たちは器という存在に惹かれるのかもしれない。
あえて「器」と書いたのは、このたび三十周年を迎えた「萬器」の名前にちなんでのこと。もちろん、「器」は、工芸から生み出されるすべてのものに置き換えられる。今日まで三十年の長きに亘り、「萬器」が扱ってきた表象のかたちは数限りない。それらひとつひとつが誰かの手に渡り、親しく使われ、愛されながら、この世界のあちこちに点在する様子は何かに似てはいないか。無数に散らばる星々を線で結んだとき、まなうらに浮かび上がる図形。それは私に星座を想起させる。
思えば、「萬器」は、歳月と空間をつうじてものとひとを交差させ、繋ぎ合わせながら拡張する役割を任じている。着々と、黙々と。これもまた創出の表現である。
平松洋子 Yoko Hiramatsu
作家、エッセイスト。東京女子大学文理学部社会学科卒業。2006年『買えない味』でBunkamura ドゥマゴ文学賞、2012年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞、2022年「『父のビスコ』で読売文学賞を受賞。『食べる私』『日本のすごい味』『肉とすっぽん 日本ソウルミート紀行』『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』など著書多数。